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みなさんこんにちは。 今回は6月例会、8月事業のテーマでありました「父親の教育」について書かせていただきます。 現職の父親である私も子育てについては試行錯誤の状態です。経験のある方に対して語れるほどの ものがあるとは無論思っていませんが、一人の父親の意見として読んでいただければ幸いです。 我々は事業構築にあたり、母性と父性を以下のように定義致しました。 母性とは、子どもを守り育てようとする本能的特質で主に子どもを包み込むように受け止めること。 父性とは、家族を守るという強い意志を家族に示し、苦難を乗り越え道を切り拓いて生きていくために 必要な善悪の判断、他人に迷惑をかけないことや他人を思いやる気持ちなど社会的ルールを伝えること 母性父性ともに一人の人間(親)が自然と備える場合もあるでしょう。 事業では特に「父性」について取り組みました。その内容につきましては報告ページをご覧下さい。 人間社会が決定的な崩壊をせずにきたのは、正に母性によるところが大きいのではないでしょうか。 そして父性は、他と争うことを止めて共に生きる道を選び、それを築いていく過程での社会ルール 的な枠割となったと考えます。どちらが欠けても、社会は成立しなかったのです。 母性というものは、女性であれば皆、生まれながらにきちんと備えているものだと私は考えます。 対して父性というものは、男であれば誰もが持って生まれるようなものではなく、むしろ最初は何も ない状態だと思います。成長の過程で備えさせねばならない、かつ父性を備えた人間が教育をしていか ねばならない。ここに今の難しい社会状況が現れているように思いませんか。
いつの時代も、母性は女性が示してくれてきました。しかし今の世の中「父性」が決定的に足りない のではないでしょうか。だから家庭や社会で様々な、考えられないような事件や問題が起きてしまう。 断定できることではありません。しかし、やはり私は根本的な要因がここにあるとみています。
父親には、まず人の親であるという強い自覚と覚悟が必要です。次に父性をもって子育てをすると いう意識が核になると私は思います。 親には誰もが(一般論として)なれます。しかし父親には子育てを通じてしかなれません。屁理屈 ではありません(笑)。まして自分に父性があるかどうか、子供に父性を備えさせることができる のかは大変難しいことだと理解せねばなりません。 昔の父親たちには皆、父性が備わっていたように思うのは私だけでしょうか。それは、父性のある 父親に育てられ、父性のある社会があったからではないでしょうか。残念ながら今はそのような社会 ではないと感じます。 次に子育てについて。
自分の父親の、社会的地位がどうとか、財力がどうとか、ケンカが強いとか、頭がいいとか、そんな ことは子供にとってたいしたことではないはずです。一緒に何かをして同じことを感じたり、知らない ことを楽しく教えてくれたり、共に育っていく感覚であれば本当はそれだけで良いはずです。 子供が生きていく上で最低限備えていなければならない、社会道徳や人間としての立ち位置を伝えること も大切です。しかし私は子供に対して何よりまず最初に教えねば、伝え続けねばならないのは「心の強さ」 だと思います。 子供が可愛くない親はいません。私はそう信じています。しかし可愛いからこそ子供を時に突き放す のが父親です。優しく抱きしめ包み込んでくれるのが母親ではないでしょうか。父と子に友達関係 などありえないと私は思っています。母と子、特に娘にはそういった関係もあるのかなと最近感じ ますが・・。 これからの教育はもう一度、子供に対し「心技体」のうち「心」を徹底的に教育していただきたいと 思います。むしろ父親はそれだけで良いとさえ思います。 「技」は、父親でなくても他の指導者がいます。部活やクラブでも教えてくれます。職人さんの世界 では師匠から盗むものが技術です。 「体」は、本人にとっての健やかさがあればそれで良いと思います。 ですから「心」を教えることこそ親の役割だと思います。 今の教育には個性とか自由とか本人の意思を尊重する、という風潮があります。それは何時かの時代の 教育方針に対する、行き過ぎた何かへの反省からきたことでしょうから、それを自体を悪いとは言いま せんが、それにしても少々行き過ぎていると私は思います。皆さんも同意見ではないでしょうか。
子供って、当然大人ではありません。自分で判断できないことが多いのです。だから親が責任を持って 時に判断し、こうすべきではと教育せねばなりません。何故ダメなのかを子供にしっかり理解させないと いけないという意見もありますが、私は反対です。ダメなものは理不尽であろうがダメで良いのです。 理由のない、感情に任せた、人を傷つける暴力は絶対にいけませんが、躾の段階で手をあげることは 時に必要だと思います。ここは大きく意見の分かれるところでしょう。
単に、頑固とか厳格であったり、体罰がオールOKというわけではありません。父親は「おおらか」 なのが私にとって一番です。 子供が公の場で騒いでいたら止めるのが親です。何かの舞台を見ていようが、親が舞台を見たかろうが、 周りの迷惑になっていれば即その場を立ち去るべきです。お金を払ったから見る権利があるとか、また 再入場できるのかとか権利ばかりを耳にすることが多いのですが、周りの人間が邪魔をされずに舞台を 見る権利をあなたはどう考えるのかと聞いてみなければなりません。お金がもったいないと思いつつ 泣く泣くその場を離れ、大きくなったら子供に笑い話として話してやればいいじゃないですか。
また子供の気持ちを大切にすることは大切ですが、同じくらい他人の気持ちを大切にできてこそ はじめてその意味があります。最後は人の気持ちより自分の気持ちの方が大切だって教えていると したら正解ではないと思います。
自由には責任が伴うとう良く言いますが、そもそも自由でいられる社会に感謝し、それを創ってきた 先人に感謝し、それを守り維持していくという義務を果たしてから自由を語ってほしいと思います。 最後に父親、母親から男女について。
私は男女共同参画社会に賛成です。ジェンダーフリーという考え方は、もっと理解されるべきです。 文化的、社会的な性差はなくしていかねばなりません。でも、使い方を間違えると文化等を壊す場合も あることを十分理解せねばなりません。そして「性差別」という言葉ばかりがどうしても目立っている 現状は、まだまだ社会がその状況にないという証拠であると同時に、逆に新たな性差別を生む要因となる 可能性も否定できないでしょう。差別ではなく、男女を区別しておいたほうが良い部分も現実の社会では あろうと思います。 男女は平等です。そして我々はその社会を築くために活動していくべきです。だからこそ、男女の生物的 な質の違い、父性と母性としての役割の違いは明確にすべきだと思います。日本の社会に父性を取り戻す ことこそいろいろな問題を解決する大きな可能性だと信じていますので・・。 今回の内容は、どちらか、または両方の親御さんが何らかの理由でおみにならないご家庭があることを もちろん承知した上で書いております。この内容を読んで気分を悪くされた方がお見えであれば、心から 謝罪致しますが、そういったご家庭が誰かの力を必要とした時、何かをしてあげられる社会の構築が 目的であることをご理解いただければと存じます。 私も二児の親であります。こんなこと書いてるあなたの家庭はどうなんだと聞かれそうですので、機会が あれば直接お話しをさせていただきます。 変な話ですが、子供に自分が死ぬ間際、「いろいろあったがあんたの子供で良かったよ。」と子供たちに 言われれば、まあ自分はよくやったと思えるような気がしていますし、そんな子育てをしていると思って 下さい(笑)。 また次回お会い致しましょう。 |